戯れ② 「ふぁっ、あ....っ、やっ...」 イルカはまるで小さな子供のように、小さく首を振った。 薄く開かれたイルカの目は潤んで輝いているように見える。目の前に覆い被さっているの顔を視界に入れるのを拒むようにその黒い目を閉じた。 何でこんな事になってしまったんだろう。 何でこんな事にーー。 同じ言葉が頭に回る。混濁しているにも関わらず、身体は気持ちとは裏腹に熱く求めるように疼いた。それが嫌で堪らない。 自分を咎めるようにイルカは首を振った。 スケアが尖った先を歯で甘噛みした。 「はっ....う...ん...っ」 その刺激にイルカの身体は素直に跳ね、震える。 執拗に舌で押しつぶされ、思わずスケアの髪を掴んでいた。茶色の髪は柔らかい。 「だめ....っ」 拒む声にスケアが顔を上げた。薄く開いたイルカの目と合う。 「お願い...っ」 灰色の目が熱っぽく、懇願するイルカを見つめながら、スケアは自分の上唇をぺろりとなめ上げた。それが酷く淫らな光景に、その懇願は受け入れられないと悟り、イルカは喉を引き攣らせた。 最初はこんな事するつもりはなかった。 そう、こんな事になるなんて思いもよらなかった。ちょっとした遊び心のつもりだった。 任務で別の人間に変化し、里を離れた。 思った以上に内容は過酷で、それでも情報収集を任されていたカカシは、一旦里に戻らなければいけない。意識朦朧としながら里までたどり着き、後は火影に報告して、イルカの待つ家に帰ってーー。 そう思っていたのに、先に報告に行くべきはずの身体が、無意識に自分のアパート近くまで来てしまっていた。 イルカと結婚したのは数ヶ月前、まだ新婚と言える時期に、この長期任務は正直受けたくなかったが、この家業、そんな甘いことは言ってられない。 確かに逢いたいとは思ってはいたが。 どれだけあの人に逢いたいんだ、俺は。雨に打たれふらふら歩きながら苦笑いを浮かべた。 この格好は極秘で、イルカにさえ明かす事は出来ないと言うのに。 そうだ、火影に報告を。 そう思いながら、気が緩んでいるからか、酷い眠気が一気にカカシを襲う。 (5分、いや、10分...) カカシはその場でずるずると身体を壁につけながら地面に沈み、重くなる瞼を閉じる。 そこで、意識が途切れた。 意識が回復すると同時に捉えた気配にカカシは相手の腕を掴んでいた。寝込みを襲われる事は数回あったが、こんな状態で襲われた事はなかった。反射的に相手の手を防げた。もう片方の手でクナイを取り出そうと思っていた。が、目の前にいる相手に目が釘付けになる。 自分の結婚相手ーーイルカが青い顔で自分を見つめていた。 言葉を失う。それは、イルカも同じだった。 そこから、自分の身分とここに連れてきた経緯を説明され、自分がスケアのままだった事を改めて思い出す。 イルカに明かす事は出来ない。 風呂を勧められ、久しぶりの我が家の風呂に入る。気持ちがいい。 でも、カカシの胸中は複雑だった。 こんなに簡単に男を家に入れるんだ。 湯船につかりながら、そんな事をぼんやり思った。 こんな見た目怪しい男を。二人の新婚の家の、しかも風呂にまで。胸の中がざわめいて、カカシは顔をしかめていた。 その後アパートを早々に後にし、火影の元に報告に向かった。 チャクラの薄さに気がついたのか、一日休んだ後、また同じ任務先へ戻るよう指示される。 一日出来た休日。火影だけが唯一知っているから、家に帰れるよう気を使ってくれたのか。自然口布の下で口角が上がった。 その通り、イルカの元に真っ先に戻りたい。会って、唇を重ねて身体も繋げたい。下半身が簡単に疼き始める。 でもーー。 雨の上がった道ばたで足を止めた。 湯船に浸かっていた時のあの嫌な感情が、まだ靄のように心を覆っていた。 あの人を信じていない訳じゃない。 思い浮かぶ、別人の自分に向けて微笑むイルカの表情。簡単に別人の自分を信じ、心を許したような笑み。 カカシは親指の爪を軽く噛んだまま、暫く考え、またそこからゆっくりと歩き出した。 スケアであるカカシを見て、イルカは表情を曇らせたのが分かった。 「あの、どうしたんですか、今日は」 もう来ないと思っていたのだろう。その通り、もうこの姿でイルカの前に現れるつもりはなかった。 でも、もう一度確認したかった。 「ちょっとお話したくて、上げてもらっていいですか」 人当たりの良い笑顔を作る。 男を簡単に部屋に上げないでよ。追っ払えるよね、あなたは。 微笑みを浮かべながら心でイルカに問いかけていた。 イルカは困った顔をした。 「いえ、それは...困ります」 お、と顔には出さないが。期待通りの台詞だが、少し驚きを感じた。自分の心が満足しているのが分かる。 カカシは口を開いた。 「そうですよね、...急に来て失礼しました。カカシ先輩の奥さんに会えるなんて思っていなかったから、嬉しくてつい」 先輩の武勇伝とか話したらあなたが喜ぶと思って。 眉を下げてカカシは後頭部に手を当てた。 「すみませんでした。じゃあ、俺はこれで」 頭を軽く下げる。 さて、一旦身を隠して変化を解いて、 そう思っていた。 「あのっ」 イルカの呼び止めは予想外だった。 きょとんとした顔をしていたと思う。カカシは瞬きしてイルカへ振り返った。 「...はい」 困惑した表情は、またカカシも困惑した。なんでそんな顔をするのか。イルカらしくない。 「イルカさん....?」 はっきりと言葉を言わないイルカにカカシが口を開く。おずおずとイルカはカカシへ顔を向けた。 「あのっ、上がってください」 「.....は?」 間の抜けた声が出ていた。 何言ってるの。先生。 そう言いたいのを必死に堪えて、イルカを見つめる。間をおいて、カカシは薄く笑った。 「あ、いや、俺はもう、」 「いえっ、その、どうぞ。お茶煎れますから」 そう言うと困惑したままのカカシに背を向け部屋に入った。 むかむかしていた。 失敗したと思った。こんな状況望んではいなかった。 思わず舌打ちしたくなる。 ことりと、湯飲みがテーブルに置かれ、カカシは顔を上げた。 「どうぞ」 そう言われて、黙ったままカカシは軽く頭を下げた。 「はあ、どうも」 この姿の時のキャラじゃないと、自分でも可笑しくなる。でも、さすがに相手がイルカで、この状況で、そっけない言葉しか出てこない。 そんなカカシを知らずか、イルカは正座してカカシを見た。自分の大好きな唇が、開く。 「で、」 で? 眉を寄せていた。 で、とは何だ。何も言わないカカシを前に、イルカがまた口を開く。 「話を...」 「話...ああ、...先輩の....?」 それしか思い浮かばないから、そう聞くと、イルカがコクリと頷く。 「はい、先輩の」 そこでカカシは要約合点した。俺の話を聞きたいと、そう言ってるのか。合点したものの、それでもそれだけで男をあげる理由にはならないだろう。 ムカつきは消えない。 期待しているような表情のイルカを内心静かに見つめながら、愛想のいい微笑みを作った。 「ああ、そうでしたね。先輩の話。聞きたいんでしたよね」 「はい」 素直に即答する様は実に忠実な子犬のようだ。 何がそんなに嬉しいんだか。 でも、いいか。 目を輝かせるイルカを見つめながら、カカシは薄く口角を上げた。