戯れ① その日は雨が降っていた。 昨日からしとしと降り続いている雨は、今日もまた曇った空から降り続いている。雨の日は自然気分が暗くなりがちだ。 イルカはゴミを纏めながら、窓から見える雲を眺めた。 今週はゴミは少ない。先週から長期任務に出かけた伴侶がいないのだからあたり前だ。イルカは、大きなゴミ袋にほとんど入っていないのを、目で見て改めて、彼のいない寂しさを実感した。 彼を思えば思うほど、想いは募るばかりだ。 イルカはため息をもらして立ち上がった。 イルカは遠目で何か分からなかった。目を眇めて、それがすぐに人間だと分かると、イルカはサンダルのまま駆け寄った。差していた傘もゴミ袋も脇に置き、ゴミ捨て場に蹲るように倒れている男の首元に手をあてる。息がある事にホッとしながら、男のチャクラを感じとり、そこまででないと判断する。 しかし、判断したものの、この男をどうしようか。早朝で病院自体は緊急であれば受け入れてくれるが、一般の時間帯はまだ先だ。 見覚えのない顔に服装だが、腕章のように腕に巻いてある木の葉の額当てに、同じ里の忍びであると分かった。 意識がないのは、チャクラを使い果たしたのか。 男を眺めながら、内勤の自分からは想像もできない、過酷な任務でそうならざるを得なかったのだと推測して、胸を痛めた。 そこから、雨に打たれる男の顔をじっと、眺めた。 「よいしょっと、」 イルカは漸くアパートに戻り、玄関に到着する。男を背負ってくるまではよかったが、鍵を開けるのに意外に骨が折れた。 鍵を開け部屋に入って、雨で濡れた服では脱衣所ではどうにもできないとイルカはサンダルを脱ぎ風呂場に向かった。 体力不足なのか、そこまで距離を歩いていないのに息が上がっている自分に情けなくもなる。 風呂場の壁に背を持たせるようにし、男を置く。負担がかかった腰を伸ばしながら男を見下ろした。 仕事上様々な忍びとの面識はあるが。この男はやはり記憶にない。 癖毛なのだろう。茶色の髪は、濡れた事によって毛先がくるんとはねている。目の周りにあるはペイントだろうか。その色から、目は閉じているが、男の目の色に興味を覚えた。見た事もない男なのに感じる不思議な気持ちに複雑になるのは、 (そうか) カカシと同じ場所にほくろがあるからか。 勝手に納得し、口元に手をあてる。 取りあえず、濡れた服を脱がさないと。 イルカはしゃがみ込み、男の服に手を伸ばした。ゴミ捨て場からここまで運んできて、風呂場に座らせ、そこまでの経緯で意識を覚ます事のない男に対して、警戒を解いていた。 だから、首元に触れようとした瞬間、男の目が開き、腕を掴まれると思っていなかったから、イルカは驚きに息を詰め、身体が揺れた。 手首を掴まれたその腕の容赦のない力に顔を顰める。 見開かれた灰色の目が、じっと自分を写していた。 「.....っ、離してください。大丈夫です。俺は木の葉の忍びです」 彼の身体から出ている警戒心の原因は自分しかない。咄嗟に出した台詞に、男の手の力が少しだけ緩んだ。 「驚かせてすみません。雨の中、倒れているのを放っておくわけにはいかず、ここは、私の家です」 付け加えた説明に、男はじっとイルカを見つめていた。あまりに長い無言に、まだ疑われているのかと、名乗ろうと口を開こうとした時、男の顔が緩んだ。 「ああ...そうですか。すみません。驚いて、つい」 男の見せる表情に、緊張が解かれるのが分かった。 「里まで帰ってきたのは良かったんですけど、途中でチャクラが切れちゃって」 「それでゴミ捨て場に....」 イルカの言葉に、え、と男は目を丸くした。そこから腕を上げ、すんすんと服の匂いを嗅ぐ。ふっと微笑んだ。 「だから俺こんな匂いなんですね」 苦笑する男に、イルカもつられて微笑む。雑巾みたいな匂いだ、と続けた男の言葉にイルカが小さく笑うと、男は微笑んだままイルカを見つめた。 「ありがとうございます。助かりました」 優しい微笑みにイルカはホッとして首を振る。風呂場で見知らぬ男と笑い合う光景に、イルカは不思議と心が暖かくなっていた。 「ありがとうございました」 スケアと名乗った男は風呂から出てきた。イルカが振り返るとにこと微笑む。 自分より若い忍びを、風呂場まで連れてきてそのまま返す訳にも行かない。シャワーでいいと言う男の身体が冷え切っているのも知っていた。熱めの風呂を沸かした。 「いい湯加減で暖まりました」 調整した温度を誉められて、それだけで嬉しくなり、イルカは小さく微笑む。しばらくカカシもいないので、シャワーしか自分も使っていなかった。浴槽に湯が張れるのは正直嬉しい。 「これ、イルカさんのですか?」 あなたにしては少し大きいですよね。 鋭い指摘にイルカは何故か心音が高鳴った。体格から、自分のでは小さすぎると分かっていてそれを渡すわけにはいかず、スケアに渡したのは、台詞の通り、カカシの服だ。ただ、それがすんなり気づかれるとは思っていなかった。 「あ、はい。えっと、」 誤魔化すように微笑むがだ、情けないくらいに声が上ずった。 「恋人、ですか?」 え、と、隠そうにも顔に出てしまったイルカの表情と声にに、スケアが眉を下げた。 「ああ、すみません余計な詮索して。職業柄つい。でもこの世界よくある事情ですし、俺は偏見なんてないですから」 穏やかな口調に、顔に出てしまった後で言い訳すら思いつかない。イルカは顔を赤らめ軽く俯いた。これでは認めたのと同じだ。 そんなイルカを見つめながら、スケアは口角を上げたまま続けた。 「聞いたついでにもう一つ、」 スケアがにこやかな表情でイルカを見つめる。 「あれって、カカシ上忍の、ですよね」 指さされたものを顔を上げて視線を追う。カカシが一緒に住む時に持ってきた、果肉植物の鉢植えを指していた。それは窓側に置かれていた。 「当たりですね」 固まったイルカに、スケアは嬉しそうな笑みを見せる。 恋人同士だとは公言はしているものの、カカシと契りを結んだのは、火影以外誰も知らない。だから、その鋭い指摘に、頭が真っ白になった。 「あー、すみません。困らせて。実は先輩とは昔から知り合いなんです。それに、先輩から結婚したって聞いてたんですよね」 内緒ですけど。人の良い笑みを浮かべられて、イルカは困惑した。彼をここまで連れてくるんじゃなかったと後悔が掠めるが、後の祭りだ。 しかし、カカシの後輩だったとは。あの果肉植物を知ってるとなると、かなり仲が良かったのだろうか。 それよりも、何よりも驚いたのが。 この男が、カカシが結婚した事を知ったいたことだ。しかも。 カカシから聞いた? 耳を疑った。 里では公には同性同士の婚姻は認められていない、故に前例のない事もあり、他言はしないと約束していたはずだったのに。 カカシとは元教え子の上忍師として知り合うまで、面識がなかった。カカシの過去は本人もあまり話すことがない。暗部だったと噂では聞いた事があったが。 そのカカシの事を昔から知り、内密な事まで教えている間柄、と言う事になる。困惑しながらも、覚える感情は、嫉妬だった。 そんなイルカを見て、スケアは軽く首を傾げながら目を細めた。